DIVA NORIKO
バイオグラフィー


女子美術大学卒業後、劇団青年座付属養成所を経て演劇活動。その後ジャズボーカリストとしてソロ活動を始める一方で、自己のフュージョンバンドを結成、数々のライブハウスに出演する。

1982 当時日本において存在した2つのサルサバンドのひとつ“オルケスタ246”にリードボーカルとして参加。
1983 サルサバンド“ハバナクラブ”の結成に参加、各ライブハウス、イベントで活動。
また、この年始めてキューバに行きページョ・エルアフロカンのページョ・イスキエルド氏にキューバ音楽の教えを受ける。
1987 自己コンサート“東京・サルサ・熱帯夜”を虎ノ門ニッショウホールにて開催。 独自のサルサ音楽の世界を創りあげ好評を博す。
1989 二回にわたり、“よみがえる東京キューバンボーイズ”の第二部“サンテリア組曲”に故見砂直照氏の要請で特別出演。その後二回目のキューバ短期留学。
1990 キューバに長期音楽留学を決意。キューバ国立民族音楽舞踊団に約一年間在籍後,人気サルサグループの“OPUS13”、現“パウリート・イス・エリテ”と組んでキューバ国内外のツアー活動を行うとともにソロシンガーとしても“ボレロフェスティバル”などに出演、その活躍ぶりはキューバで広く知られる事となる。
1994 ベネズエラのソニーミュージックより、初の自己ソロアルバム“NORIKO”をリリース、ラテンアメリカや一部のアメリカ本国で発売され好評を得る。世界的サルサシンガーのオスカルデレオンのプロデューサーとして有名なビクトルメンドーサを迎えベネズエラでの自己グループを結成、ベネズエラを始めパナマ、ドミニカ、プエルトリコ等ラテンアメリカツアーをする。
1996 新たにマイアミのミュージシャンとグループを作りアメリカの他都市でも活動。さらにカナダ、プエルトリコ、キューバなどのジャズフェスティバルに参加、世界のミュージシャンと競演、交友を深める。
1997 ラスベガスのラテンショー“サボールラティーノ”に参加。これを機にラスベガス、ロスアンゼルスなどアメリカ西海岸のライブ、TV出演をする。
2000 この年より10年ぶりに日本に帰国、自己のプロジェクトを企画、準備に入る。
2001 4月、六本木スィートベージルにて“DIVA NORIKO”としてソロコンサートを盛況のうちに行い、日本での再活動のスタートを切る。このスィートベージルとともに渋谷セルリアンタワーホテル(JZBRAT)に定期的に出演、9月自己のメンバー9名とともにキューバへ国際交流基金の日本文化紹介派遣助成を受けツアーをしキューバ各地で好評を博す。 
2002 前年度の成功を受け日本でも“DIVA NORIKO”として自己のオーケストラと定期的なライブコンサートを展開。また他のコンサートへのゲスト出演、他のアーティストのレコーディングへのゲスト参加など巾広く活躍。
2003 10月に再び国際交流基金の助成を受け、メキシコのセバンティーノ芸術祭に参加、絶賛を博す。11月にはベネズエラソニー時代のアルバム“NORIKO”が日本で再リリースされる。
2004 5月TBSテレビ“金スマ”で海外でのサルサ歌手としての成功ぶりを紹介される。日本国内でプロモーションツアー、また現在来年の自己CDキューバ録音を準備中である。